この記事で分かること
- 大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)とは?
- 大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)へのアクセス
- 大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)の展示品
- 大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)の概要
大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)とは?
日本一の海軍工廠のまちとして栄え、戦艦「大和」を建造した軍港、呉の歴史や造船、製鋼を始めとした科学技術を紹介する博物館です。
館内には、戦艦「大和」を10分の1スケールで再現した巨大模型が展示されており、間近で見学することができます。
船を中心とした科学技術の原理を体験、体感を通してわかりやすく紹介している展示室のほか、ゼロ戦こと零式艦上戦闘機六二型などの貴重な実物資料を展示した大型資料展示室もあり、呉の歴史、呉の技術、そして平和の大切さを学べる施設になっています。
また、毎週土日には子どもも楽しめるサイエンスショーや工作教室などを開催しています。
大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)へのアクセス
公共交通機関でのアクセス
JRを利用の場合
JR呉駅から徒歩5分
バスを利用の場合
呉市営バス宝町中央循環線「ゆめタウン・大和ミュージアム前」下車徒歩1分
フェリーを利用の場合
呉中央桟橋から徒歩1分
車でのアクセス
クレアライン呉ICから車で5分
普通車等駐車場について
大和ミュージアム駐車場は有料駐車場(1時間100円、67台)があります。
障害者優先の駐車スペースは、大和ミュージアム駐車場内に2台あります。
大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)の展示品
1Fの展示
大和ひろば
全長26.3メートルもある10分の1戦艦「大和」は、設計図や写真、潜水調査水中映像などをもとに、可能な限り詳細に再現しました。
この10分の1戦艦「大和」は大和ミュージアムのシンボルとして平和の大切さと科学技術のすばらしさを後世に語り継いでいます。
今も残る大和の造船ドックや様々な船舶が往来する呉湾の風景が望めます。
A. 呉の歴史 THE HISTORY OF KURE
明治22(1889)年に呉鎮守府、明治36(1903)年には呉海軍工廠が設置され、戦前は戦艦「大和」を建造した東洋一の軍港、日本一の海軍工廠の街として栄えました。
戦後には、戦前から培われてきた技術が新しい技術と結びつき、世界最大のタンカーを数多く建造する有数の臨海工業都市として発展してきました。
海軍整備の時代
呉鎮守府の開庁
ペリー艦隊来航をきっかけに、200年以上続いた徳川幕府による鎖国政策は終わります。西欧列強の著しく発達した造船技術を目にした日本は、強い危機感を抱きました。
そこで西洋型の進んだ船の建造・運用技術を導入するため海軍を創り、その拠点として鎮守府を国内4ヶ所内に設置しました。
技術習得の時代
呉海軍工廠の設立
建造の国産化のために呉海軍工廠が設立され、呉のまちは日本一の技術を支える工員や水兵たちで賑わいました。
大戦景気と呉海軍工廠
海軍拡張にともなう技術の進歩に加え、大戦景気によって呉のまちは好景気にわきたちました。
軍縮期、産業の合理化
生産と管理の合理化
軍縮をきっかけに質の高い造船技術の開発が進められ、同時にそれを支える人材育成もはかられました。
航空機技術の開発・生産
広海軍工廠と第11海軍航空廠
呉海軍工廠の支部としておかれた広支廠が広海軍工廠として独立し、第11海軍航空廠となりました。
呉と太平洋戦争
太平洋戦争が始まると、日本の艦艇の建造・修理をになう呉海軍工廠の役割は、ますます大きなものとなり、やがて繁忙をきわめるようになっていきます。
戦時下の市民生活・呉空襲
戦局の悪化とともに、食糧不足に悩まされるようにもなり、一般市民の生活は戦争一色となりました。
日本最大の海軍工廠があった呉は、アメリカ軍の空襲の標的となり、14回にもおよぶ空襲を受け、うち6回は特に激しいものでした。
呉と原爆
広島に原子爆弾が投下され、呉からもキノコ雲が確認されました。呉からは救援隊や調査団が派遣され、調査団は日本で最初に原子爆弾の存在を確認しました。
平和産業港湾都市としての再生
空襲などにより荒廃した呉市は、戦後、平和産業港湾都市としての復興をめざし、世界的な造船のまちとして名を馳せ、科学、技術、製造、文化など多方面での発展をみました。
A. 呉の歴史 THE HISTORY OF KURE 戦艦「大和」
技術の結晶戦艦「大和」
軍縮期に設定された艦艇の保有・建造制限に対応するために高められた技術の集大成として戦艦「大和」が設計されました。
「大和」の建造
「大和」型戦艦は構造がきわめて複雑で、予定通りに工事を完成させるには緻密な計画が必要でした。
また、機密保持も工廠の設備から市民生活にいたるまであらゆる面で徹底され、細心の注意が払われました。
「大和」の技術
「大和」は、国力面におけるアメリカ側の”量”的優位に対し、日本が”質”で対抗しようとした艦であり、当時の最新技術の結晶と言えるものでした。
その技術は日本の復興と高度成長を支え現代にも受け継がれています。
「大和」の生涯
1941年(昭和16年)12月16日に竣工後、「大和」は連合艦隊旗艦として海軍作戦の指揮全般にあたりましたが、すでに主役の座は戦艦から航空機へと移っており、「大和」は支援任務が多くなります。戦争終局時には沖縄特攻作戦に出撃、最期を迎えました。
「大和」に乗っていた人々
乗組員たちは沖縄特攻に際し、遺書・手紙・葉書などに家族への思いを託し出撃していきました。
「大和」の現在
1985年(昭和60)年「海の墓標委員会」、1999年(平成11)年「大和プロジェクト’99」(全国朝日放送㈱)の2回にわたる潜水調査・一部遺品の引き揚げにより、「大和」の最期を知る多くの手がかりが得られました。
これらの調査は、半ば伝説とされてきた過去の戦艦「大和」と、それにかかわった人々の生きざまを現在に生きる私たちに伝えてくれる貴重な架け橋となりました。
B. 大型資料展示室
零式艦上戦闘機六二型、特攻兵器「回天」十型(試作型)などの実物資料で戦争の悲惨さや平和の大切さを伝えます。
呉で培われた材料をつなぐ技術や目標へまっすぐ進む技術などは、現在の宇宙ロケット製造技術にも引き継がれています。
九三式魚雷・二式魚雷
九三式魚雷は、それまでの魚雷の欠点であった射程距離の不足、航跡発生の問題を解決するため、燃料酸化剤に純粋な酸素を用いていました。この酸素魚雷を太平洋戦争までに実用化できたのは日本だけでした。
開発に成功したのは呉海軍工廠魚雷実験部で、水雷部がおもに製造を担当していました。
二式魚雷は、魚雷艇用として開発された魚雷で、魚雷艇以外にも「蚊龍」などの特殊潜航艇で使用されました。
特攻兵器「回天」十型(試作型)
呉海軍工廠を中心に研究開発された特攻兵器「回天」は、海軍の青年士官から提案されたものです。平均年齢21歳の100名以上の尊い命が失われました。
全長9メートル、重量2.5トン、乗員1名。
零式艦上戦闘機六二型
零式艦上戦闘機の開発には、広海軍工廠で研究・開発された技術が活かされました。機体全てを金属で製作する技術、運動性重視から主翼を片方だけで支える強度維持の技術、桁と外板で主翼の強度を保持する技術などは、日本国内では広海軍工廠からはじまりました。
特殊潜航艇「海龍」(後期量産型)
「海龍」は飛行機のように翼を使って自由に潜航・浮上する事を目指して呉海軍工廠などで潜航実験や研究・開発が行われた小型潜水艦です。
全長:17.28メートル、水中速力9.8ノット、乗員2名。
各種砲弾
戦艦「大和」などで使用された46センチ主砲弾や、戦艦「陸奥」などで使用された41センチ主砲弾をはじめとした各種砲弾や火薬缶などを展示しています。
3Fの展示
C. 船をつくる技術
船が浮くしくみ!「ウキウキドラムカン」
重たい船がなぜ水に浮かんでいられるのか?その基本原理である浮力の存在を体感できます。
船のつくりかた!「ブロックゲーム」
昔と現在の船のつくりかたの違いについて比較体験できます。現在の船がブロック建造工法によって効率的につくられていることが理解できます。
船の材料と工作!「モノクジラ」
素材の強さを引っ張ることで比較体験できるとともに、小型船から大型タンカーまでさまざまな船の素材である「木」「FRP」「アルミ」「鉄」の素材の違いと特徴を、触る、たたく、持ち上げることで体感できます。
プロペラの動き!「スクリューバイク」
ペダルを漕いで2種類のプロペラに同じ回転を与え、プロペラの角度の違いによる推進力の違いが比較体験できます。
船のうごかし方!「チャレンジナビ」
フェリーと高速船の操縦を体験できる操船シミュレーターです。
滑車のすごい力!「パワーカッシャー」
滑車を使って重いものを持ち上げるしくみを体感できます。
空気でふわふわ!「フワフワバスケット」
空気の流れで発生する揚力のはたらきで、ボールが空中でふわふわと浮く不思議な装置です。
D. 未来へ
地球や宇宙に関する科学技術のこれから、名誉館長等による未来へのメッセージを紹介します。大和シアターでは、JAXAなどの映像資料や新CG映像による戦艦「大和」の建造プロセスなどを上映します。
科学技術のこれから
- 地球のすべて・・・地球深部探査船「ちきゅう」による謎の解明
- 宇宙のすべて・・・小惑星探査機「はやぶさ」による世界初のサンプルリターン
未来へのメッセージ
- 的川泰宣 名誉館長(宇宙教育者)
- 石坂浩二 名誉館長(俳優・司会者・画家)
- 阿川弘之 名誉館長(1920-2015/小説家)
- 半藤一利 名誉館長(1930-2021/ジャーナリスト・作家)
大和シアター
客席:81席(車いす用スペース4台分)
スクリーンサイズ:7m×3.9m(315インチ)
DLP方式プロジェクター
5.1chサラウンドシステム
屋外展示
大和ミュージアムには、屋外にも実物展示があります。
また、呉港の景観や潮の香りを感じることのできる憩いの場を設けています。
レンガパーク
大和ミュージアム駐車場からエントランスの間はレンガパークです。戦艦「陸奥」の主砲身、スクリュー、主舵などの引揚品を展示しています。
戦艦「陸奥」の主砲身(41センチ主砲身 (4番主砲塔左))
戦艦 「陸奥」 に搭載された41センチ砲は呉海軍工廠で開発したもので、「陸奥」の建造当時は世界最大の艦載砲であった。
呉海軍工廠砲熕(ほうこう) 部が大正7年に量産初号砲を完成させ、以降74門製造した。大正9年からは北海道室蘭において日本製鋼所も生産を開始し24門製造した。
ここに展示されている砲は日本製鋼所の2号砲で大正10年に完成したもので、戦艦「陸奥」には昭和11年に搭載された。
この主砲身の砲尾に「室2」が刻印されています。
戦艦「陸奥」の主錨
戦艦「陸奥」の艦尾旗竿
戦艦「陸奥」の艦尾フェアリーダー(右舵用)
芝生広場
大和ミュージアム海側には芝生広場があります。周りには潜水調査船「しんかい」を展示しています。
潜水調査船「しんかい」
大和波止場
大和ミュージアム海側の大和波止場は実物大の戦艦「大和」をイメージした公園です。かつて大和を建造した造船所や、行き交ういろいろな船を見ることができます。
ここでは、戦艦「大和」前甲板の左半分を実寸大で表現しています。
大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)の概要
休館日 | 火曜日(火曜日が祝日の場合は翌日休館) ※4月29日〜5月5日、7月21日〜8月31日、12月29日〜1月3日は無休 ※新型コロナウイルス感染拡大防止および災害等により休館となる場合があります。 ※開館カレンダーでご確認ください。 |
開館時間 | ・展示室・ミュージアムショップ 9:00〜18:00(展示室入館は17:30まで) ・ライブラリー 9:00〜17:00 |
入館料 | 一般(大学生以上) 500円 高校生 300円 小・中学生 200円 |
住所 | 広島県呉市宝町5番20号 |
大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)のwebサイト | https://yamato-museum.com |
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