目次
この記事で分かること
- 雲南市 永井隆記念館とは?
- 雲南市 永井隆記念館へのアクセス
- 雲南市 永井隆記念館の展示品
- 雲南市 永井隆記念館の概要
雲南市 永井隆記念館とは?
永井隆博士は、長崎原爆により大怪我を負いながらも自らの生命を顧みず「如己愛人」「平和を」の精神に徹し、被爆者救護に当るとともに世界平和を訴え続け、原爆で失った夫人とやがて遺児になるであろう二人の子をいとおしみ、生命の限り文筆を振るい「長崎の鐘」「この子を残して」などの名著を執筆しました。
雲南市永井隆記念館は、博士の功績を称え精神の顕彰と人々への浸透を願い昭和45年10月、博士のふるさと雲南市三刀屋町に開館しました。
館内には、博士の遺作品(手紙・葉書・書・絵画ほか)や写真など博士に関する資料約300点を、又、屋外には、博士が晩年二人の子供と暮らした「如己堂」(複製)や胸像、歌碑などを展示公開しています。
雲南市 永井隆記念館へのアクセス
車の場合
松江道 三刀屋木次ICより車で5分
バスの場合
- JR出雲市駅よりバスで30分
- JR木次線木次駅よりバス10分 バス停より徒歩10分
雲南市 永井隆記念館の展示品
緑のロザリオ
原爆で焼失した家があった場所から博士が見つけた緑夫人のロザリオの複製。
如己愛人・博士の写真
如己愛人
博士の座右の銘「自分を愛するように人も愛しなさい」の意。
博士の写真
緑夫人が亡くなり、半年間髪を切らずに髭もそらずに喪に服した。
博士愛用の湯呑
如己堂で博士が使用していた湯飲み(複製)
薄茶茶碗
被爆した博士が作った薄茶茶碗。
如己堂の瓦
如己堂建設時に屋根に使ったのは、生い立ちの家の納屋の瓦だった。
長崎の被爆校舎の壁
本被爆壁面は、昭和20年8月9日午前11時2分、長崎に投下された原爆の爆心地から北600m地点・当時の山里小学校一階部分の壁です。同校は故永井隆博士にゆかりが深く、改築されるのに伴い、長崎市より永井隆記念館に贈られました。
如己堂
永井隆博士は、被爆後に二畳一間の如己堂で、2人の子どもと暮らしました。
白血病に侵され、病床に伏しながらも世界中の人々に戦争の悲惨さ、平和の尊さを訴え続け、多くの著名な執筆作品を生み出しています。この如己堂は、平成20年に雲南市が永井隆博士の生誕100年を記念し、長崎市に在る如己堂を忠実に再現したものです。
雲南市 永井隆記念館の概要
休館日 | 月曜日、国民の祝日の翌日 12月29日から翌年1月4日まで ※休館日の詳細はHPをご確認ください。 |
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開館時間 | 午前9時~午後5時 |
入館料 | 一般:300円 19歳未満無料 |
住所 | 島根県雲南市三刀屋町三刀屋199-3 |
webサイト | https://www.city.unnan.shimane.jp/unnan/kankou/spot/iseki/nagaitakashikinenkan.html |
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