この記事で分かること
- 杉原千畝記念館とは?
- 杉原千畝記念館へのアクセス
- 杉原千畝記念館の展示品
- 杉原千畝記念館の概要
杉原千畝記念館とは?
杉原千畝(1900-1986)は、ユダヤ人へのビザ発給により約6千人もの尊い命をナチス・ドイツの迫害から救った外交官です。杉原千畝記念館は、彼の人道的な精神と功績を称えて建てられました。
異郷の地「リトアニア」と生誕の地「八百津」の文化差異を表現し、時空を超えて千畝の道徳を柔らかく包み込んでいます。木組フレームによる広がりのある展示室、孤高な千畝の執務室、八百津町の町を見晴らす展望室で構成されています。
杉原千畝記念館へのアクセス
電車の場合
名古屋鉄道広見線明智駅からバスで「八百津町ファミリーセンター」まで25分。
「八百津町ファミリーセンター」からバス停「人道の丘 北」までバスで10分。
土日祝日は「八百津町ファミリーセンター」から無料シャトルタクシーが出ています。
バスの運行本数が少なく、乗り継ぎが悪いため注意!
自動車の場合
- 東海環状線自動車道「可児御嵩IC」から国道21号、御嵩町経由で20分
- 名神高速道路「小牧IC」から国道41号、美濃加茂市経由で60分
杉原千畝記念館の展示品
ホロコーストの歴史について
どのように歴史が動き、なぜ千畝が後にビザを発給することとなったのか。ユダヤ人迫害に至る歴史を紐解きます。
ユダヤ人迫害の実態について
エスカレートしていくユダヤ人迫害の実 態と、命が簡単に失われていく状況を伝えています。
千畝の仕事とユダヤ人を巡る動きについて
外交官である千畝がどのような経緯でユ ダヤ人たちを助けることとなったのか、その始まりを紹介します。
ビザ発給に至る千畝の行動について
外交官である千畝がどのような経緯でユダヤ人たちを助けることとなったのか、その始まりを紹介します。
ユダヤ避難民の逃避ルートについて
ユダヤ人たちはなぜ千畝にビザ発給を求めたのか。ユダヤ避難民の避難ルートについて検証します。
救われた人と救われなかった人のその後の人生
その後、ユダヤ人たちはどのような人生を歩むことになったのかを紹介します。
ビザ発給後の千畝の人生について
ビザ発給後、長い間その善意に満ちた行動に日が射すことなく過ごした、千畝のその後の人生について紹介します。
千畝に寄せられた想い
「命のピザ」により救われたユダヤ人と その家族から、千畝に宛てたメッセージを紹介します。
ユダヤ人に救いの手を差し伸べた人々
千畝以外にも、ユダヤ人をナチスの迫害 から救った勇気と人道愛に満ちた人々について紹介します。
ユダヤ避難民がたどり着いた敦賀でのエピソード
ユダヤ難民を初めて日本に迎え入れた教賀での心温まるエピソードを紹介します。
杉原千畝記念館周辺の展示品
杉原千畝銅像
シンボルモニュメント
「世界平和」をテーマに、「平和を奏でるモニュメント」として、世界に平和の光と音楽を発信している。モニュメントは、パイプオルガンをイメージし、160本のパイプの大小は世界の国々を表しています。
杉原千畝記念館の概要
休館日 | 毎週月曜日、年末年始 ※祝日または振替休日の場合は翌日 |
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開館時間 | 午前9時30分から午後5時まで |
入館料 | 大人(高校生以上)300円 中学生以下 無料 |
住所 | 岐阜県加茂郡八百津町八百津1071 |
杉原千畝記念館のwebサイト | https://www.town.yaotsu.lg.jp/sugihara-museum/ |
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