この記事で分かること
- 日清講和記念館とは?
- 日清講和記念館へのアクセス
- 日清講和会議とは
- 日清講和記念館の展示品
- 日清講和記念館の概要
日清講和記念館とは?
日清講和記念館は、明治28(1895)年春に下関でおこなわれた日清講和会議と、下関条約と呼ばれる講和条約の歴史的意義を後世に伝えるため、昭和12(1937)年6月、講和会議の舞台となった料亭春帆楼の隣接地に開館しました。館内では、講和会議で使用された調度品をはじめとして、伊藤博文や李鴻章の遺墨などを展示しています。
日清講和記念館へのアクセス
バスの場合
JR下関駅から長府方面行きのバスで約10分 バス停「赤間神宮前」下車後徒歩1分
日清講和会議とは
朝鮮半島の権益をめぐり対立していた日本と清国は、明治27年(1894)甲午農民戦争(東学党の乱)をきっかけに開戦しました。この戦争は日清戦争と呼ばれ、戦況は日本軍の圧倒的優勢に進み、翌年清国は日本に講和の打診を始めます。
明治28年(1895)3月19日、清国の講和使節団を乗せた汽船が関門海峡の沖合に停泊しました。翌日から下関の料亭春帆楼で日清講和会議が開催されました。この講和会議には日本全権の伊藤博文、陸奥宗光、清国全権の李鴻章をはじめ両国の代表11名が出席しました。 講和に向けて会議はくり返しおこなわれ、4月17日に講和条約が調印されました。
下関が講和会議の地に選ばれたのは、日本の軍事力を誇示できる最適な場所であったからです。事実、日本の軍船が大陸に向かい狭い海峡を通過する光景は、清国使節団に脅威を与え、その後の交渉は日本のペースで展開したといわれます。
このとき調印された講和条約は下関条約と呼ばれ、清国は日本に朝鮮半島の独立承認・領土の割譲・賠償金の支払い等を約束しました。
日清講和記念館の展示品
再現された講和会議場
講和会議の部屋を再現し、当時の様子を紹介している。
浜離宮で使用されていたといわれる椅子
イギリスのバルーンバックチェアのフレームに黒漆金蒔絵が施されたこの椅子は、皇室や国賓のために用意された最も格の高いものです。
明治時代、国賓や海外の外交官を接待するために建てられた鹿鳴館にも同型の椅子が備えられていました。
日清講和記念館の概要
休館日 | なし |
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開館時間 | 午前9時~午後5時 |
入館料 | 無料 |
住所 | 下関市阿弥陀寺町4番3号 |
webサイト | https://www.shimohaku.jp/page0106.html |
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