この記事で分かること
- 明治村とは
- 明治村へのアクセス
- 明治村に展示されている戦争に関する展示
- 明治村の概要
明治村とは
明治期を中心とする60以上の歴史的建造物を移築、保存、展示する野外博物館です。高度経済成長の影で消えゆく貴重な明治期の建造物を何とか保存したいと建築家・谷口吉郎氏と名古屋鉄道社長(当時)の土川元夫氏の同窓生の二人が力を合わせて昭和40年に開村、平成27年に50周年を迎えました。
明治村へのアクセス
電車でのアクセス
- 名鉄「名古屋」駅から、名鉄「犬山」駅で岐阜バスに乗り換え、「明治村」バス停下車すぐ
- 名古屋駅・名鉄バスセンターで乗車、高速バス「明治村」バス停下車すぐ
車でのアクセス
- 中央自動車道、小牧東ICから3km
- 国道41号上小口2丁目交差点から6km
- 国道19号明知町北交差点(小牧東インター道路利用)から5km
明治村に展示されている戦争に関する展示
歩兵第六聯隊兵舎
歩兵第六聯隊は、名古屋に置かれていた東京鎮台第三分営という軍隊が、明治6年(1873)に名古屋鎮台に昇格した時に新しく編成された部隊でした。名古屋城大手門の右手にある二之丸跡に兵営が設置され、営庭を取り囲むように兵舎が配置されました。明治村へ移築されたのは第十中隊で、兵舎は約7割程度に切り縮められました。
外観は漆喰壁に上げ下げ窓が並び、素朴な印象を与えます。しかし、構造はとても頑丈で、外側の柱はすべて土台から軒まで達する太い通し柱とし、壁の下地になる木摺(きずり)を斜めに打っています。
創建当時、窓の数は現在の約半数だったものの、のちに室内を明るくするため増設されています。明治村では屋内の展示環境に配慮し、増設された状態で復原しています。内務班の部屋には、現在も木製のベッドが展示され、当時の様子を再現。この建物ではすべての家具が、耐久性を重視されて作られたといいます。そのほか中隊長室、下士官室などが、当時の姿に復原されています。
建設年 | 明治6年(1873) |
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村内所在地 | 4丁目36番地 |
旧所在地 | 名古屋市中区二の丸 |
文化財種別 | 登録有形文化財 |
登録年 | 平成16年(2004) |
解体年 | 昭和38年(1963) |
移築年 | 昭和40年(1965) |
名古屋衛戍病院
名古屋城内に置かれた陸軍名古屋鎮台の附属病院。「衛戍」とは陸軍の駐屯のことを言います。明治村には、管理棟の半分と病棟1棟、それらをつなぐ渡り廊下が移築されています。建物は木造平屋建ての桟瓦葺きで、周囲に吹き放ちのベランダをめぐらせています。非常に開放的で明るく、清潔感にあふれた印象です。
病院はもともとは6棟の建物が中庭を囲んで配される分棟式の配置をとっていました。これは洋式大病院の典型的な形式で、日本赤十字社中央病院(4丁目35番地)にも踏襲されています。
管理棟の正面には、桟瓦葺きで緩い勾配のむくり破風(はふ)の玄関が突き出され、玄関の柱は胴部に膨らみをもたせた円柱が使われています。広い玄関ホールの中ほどから板床に上がり、同じ高さの各室、中庭の回廊へつながる造り。内部には、医局、薬剤室、理化学研究室などがありました。
病棟の外部回廊の大半はもともと吹き放ちで手すりがついていましたが、後に改造され、ガラス入りの引き違い戸が建て込まれています。
病室の換気にはとりわけ注意が払われました。換気設備として、病棟内の天井に畳2枚ほどの広さの回転板戸を設置。開くと、上部の越屋根(こしやね)まで煙道ダクトで通じる仕掛けです。病室の外壁下部にも床上換気口があり、病室内と外部の回廊で通気ができるようになっています。
建設年 | 明治11年(1878) |
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村内所在地 | 4丁目37番地 |
旧所在地 | 名古屋市中区三の丸 |
文化財種別 | 愛知県有形文化財 |
指定年 | 昭和41年(1966) |
解体年 | 昭和38年(1963) |
移築年 | 昭和39年(1964) |
日本赤十字社中央病院病棟
東京・渋谷区広尾の日本赤十字社病院の敷地内に建っていた、分棟式の木造病棟9つのうちの1棟。設計は、赤坂離宮などと同じ宮内省技師・片山東熊です。
病院はドイツのハイデルベルク大学病院を模したレンガ造2階建ての本館が正面に構え、その背後に木造病棟が並び、それらが廊下で環状に結ばれていました。病棟の先端には、別棟の便所が接続していましたが、この便所棟も移築されています。当時としては最先端の設備を誇っていた病院でした。
ハーフティンバーとドイツ下見板張りの外壁や、繊細な軒飾りや小壁の透かしが、建物の印象を柔らかいものにしています。
木造平屋建て、寄棟造り、桟瓦葺きの建物。レンガ造りの高い基礎に建っており、廊下は高床式で造られています。外壁はドイツ下見板張り。ハーフティンバー様式に模した柱形がついています。屋根の上に立つ換気塔も、本来の用途を忘れさせるほど、繊細な装飾が施されています。
現在は北側の外部にあり目立たないものの、病室窓の鎧戸の上部には手の込んだ透かしがあります。また軒飾りもレースのように細かな陰影が、建物の印象を柔らかくしています。
明治村への移築にあたって、敷地条件の都合から建物の方位が180度変えられており、現在南に面している全面にガラスの引き違い窓がはめられた廊下は、本来は北側にあったものでした。暗くなりがちな北面を、明るくするための工夫が見てとれます。現在はふんだんに光の差し込む廊下となり、光あふれる開放的な空間が人気を集めています。
現在、建物の廊下に、桐や竹、鳳凰を浮き彫りにした彫刻の額が掲げられています。これは病院本館の破風に掲げられたものでした。意匠は、日本赤十字病院の立ち上げに一役買った、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)のかんざしの意匠をもとにしたといわれています。
日本赤十字社の成り立ちをさかのぼると、明治10年(1877)に西郷隆盛が九州で挙兵した西南戦争で、敵味方の区別なく傷病兵の救護にあたった博愛社がはじまりでした。後に本政府がジュネーブ条約に加盟した明治19年(1886)、日本赤十字社と名を改めました。その際に皇室から渋谷の御料地(皇室の所有地)の一部と建設資金10万円が与えられ、同23年(1890)にこの病院が建設されたのです。
建設年 | 明治23年(1890) |
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村内所在地 | 4丁目35番地 |
旧所在地 | 東京都渋谷区広尾 |
文化財種別 | 登録有形文化財 |
指定年 | 平成15年(2003) |
解体年 | 昭和48年(1973) |
移築年 | 昭和49年(1974) |
ポーツマス条約の机
明治38年(1905)、日露戦争を終結させるポーツマス条約が締結された際に使用されていたテーブルを帝国ホテル2階で展示しています。教科書などで載っているポーツマス条約調印の写真やスケッチに登場するのがこのテーブルです。
このテーブルをはさんで、当時の外相・小村寿太郎とロシアのセルゲイ・ウィッテが激しく意見を戦わせました。
多くの見学者の方が、初めてこのテーブルを目にした時の第一声です。
一般的なビリヤード台(9フィート台)は長さ290cm・幅160cmである一方で、このポーツマス条約の机は長さ430cm・幅120cm。長さはビリヤード台よりも大きい、存在感のある机となっています。
展示場所 | 5丁目67番地(帝国ホテル中央玄関内) |
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明治村の概要
詳細はHPをご確認ください。
休館日 | 2024年の場合 1月 1日(月・祝)、9日(火)~12日(金)、16日(火)・17日(水)、23日(火)・24日(水) 7月 16日(火)~19日(金) 8月 6日(火)・7日(水)、20日(火)・21日(水)、27日(火)・28日(水) 9月 3日(火)・4日(水)、9日(月)~13日(金) 12月 16日(月)~20日(金)、31日(火) |
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開館時間 | 2024年の場合 4月~7月、9月、10月 9:30 ~ 17:00 8月 10:00 ~ 17:00 11月 9:30 ~ 16:00 12月~2月22日(木) 10:00 ~ 16:00 2月23日(金・祝)~3月 9:30 ~ 17:00 ※入村は閉村時間の30分前までとなります。 ※イベント等の開催により、開村・閉村時間を変更する場合があります。 ※駐車場営業時間は開村時間と同様になります。 |
入館料(個人) | 大人 2,500円 高校生 1,500円 小中学生 700円 ※2024年4月1日より各種料金を改定 |
住所 | 愛知県犬山市字内山1番地 |
webサイト | https://www.meijimura.com |
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