この記事で分かること
- 広島平和記念資料館とは?
- 広島平和記念資料館へのアクセス
- 広島平和記念資料館の展示品
- 広島平和記念資料館の概要
広島平和記念資料館とは?
広島平和記念資料館は、原子爆弾による被害の実相を世界中の人々に伝え、ヒロシマの心である核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に寄与することを目的に1955年に開館しました。
1945年8月6日午前8時15分、広島は世界で初めて原子爆弾による被害を受けました。
まちはほとんどが破壊され、多くの人々の生命が奪われました。かろうじて生き残った人も、心と体に大きな痛手を受け、多くの被爆者が今なお苦しんでいます。
平和記念資料館は、被爆者の遺品や被爆の惨状を示す写真や資料を収集・展示するとともに、広島の被爆前後の歩みや核時代の状況などについて紹介しています。
また、被爆者による被爆体験講話会などを実施するほか、平和学習のための資料の貸出しも行っています。
広島平和記念資料館へのアクセス
公共交通機関でのアクセス
JR広島駅のアクセス
路線バスでのアクセス(所要時間:約20分)
南口バスのりばから、広島バス24号(吉島)線「吉島営業所」または「吉島病院」行、「平和記念公園」下車すぐ
観光循環バス「めいぷる~ぷ」でのアクセス(所要時間:約17分)
新幹線口「めいぷる~ぷ」のりばから乗車、「平和公園前」下車すぐ(オレンジルート・グリーンルート・レモンルートも「平和公園前」を経由します。)
市内電車でのアクセス(所要時間:約25分)
広島港行(1号線)、「袋町」下車、徒歩約10分 江波行(6号線)、広電宮島口行(2号線)、
「原爆ドーム前」下車、徒歩約10分
タクシーでのアクセス(所要時間:約15分)
広島空港からのアクセス
リムジンバスでのアクセス(所要時間:約70分)
空港ターミナルビル1階到着フロア1番ホームから、広島バスセンター行、終点下車、徒歩約10分
タクシーでのアクセス(所要時間:約50分)
広島バスセンターからのアクセス
徒歩(所要時間:約10分)
広島港(宇品港)からのアクセス
路線バスでのアクセス(所要時間:約25分)
広島バス21号線広島駅、向洋大原、洋光台団地行、「中電前」下車、徒歩約10分
市内電車でのアクセス(所要時間:約35分)
広島駅行(1号線)、西広島行(3号線)、「中電前」下車、徒歩約10分
タクシーでのアクセス(所要時間:約20分)
車でのアクセス
国道2号からのアクセス
国道2号で、福山・東広島方面からは広島駅を、岩国・廿日市方面からは西広島駅を目指して進み、そこから平和大通りを目指し、周辺の有料駐車場をご利用ください。
高速道路(山陽自動車道)からのアクセス
広島ICより国道54号を南へ広島城・広島バスセンター方面を目指して進み、そこから平和大通りを目指し、周辺の有料駐車場をご利用ください。
一般駐車場について
平和記念公園、広島平和記念資料館、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館には、一般自家用車用(身体障害者の方の乗車車両は除く)の駐車場はありません。
自家用車でお越しの際は、平和記念公園周辺の有料駐車場をご利用ください。広島市駐車場情報はこちら(お越しの際は、電車・バス等の公共交通機関のご利用をお勧めします)
広島平和記念資料館の展示品
常設展示
1. 導入展示
1-1.被爆前の広島
びっしりと建ち並ぶ家々、ドーム型の屋根の広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム)、通りを走る路面電車、商店街のにぎわい、子どもたちの笑顔、被爆前の広島には多くの人々の暮らしが息づいていました。
1-2.失われた人々の暮らし
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、広島に原爆が投下され、上空600メートルでさく裂しました。原爆により、人びとの暮らしは一瞬にして失われました。
1-3.広島平和記念資料館からのメッセージ
一発の原子爆弾が、無差別に多くの命を奪い、生き残った人々の人生も変えました。広島平和記念資料館は、被爆資料や遺品、証言などを通じて、世界の人々に核兵器の恐怖や非人道性を伝え、ノーモア・ヒロシマと訴えます。
2. 8月6日のヒロシマ
2-1.本館エントランス
2-2.8月6日の惨状
一瞬にして街は破壊され、多くの人々が何が起こったのかも分からないまま命を奪われました。
生き残った人々も、火傷でパンパンに膨れ上がった顔、だらりと垂れ下がった皮膚、血みどろの身体――変わり果てた姿で炎の中を逃げまどいました。
2-3.放射線による被害
原爆から放出された大量の放射線が人々の体をむしばみました。
外傷のない人々や被爆直後に広島市内に入った人々でも高熱や下痢が続き、髪の毛が抜け、皮膚に紫色の斑点が現れ、死に至りました。
3. 被爆者
3-1.魂の叫び
「痛いよー、苦しいよー」
「熱い!水を!」
「助けてー!お母さーん!」
「死にたくない……」
「どうしてこんな目に……」
「あの子はどこに……」
「助けてあげられなくてごめん……」
亡くなった人、残された人、一人ひとりに心の底からの叫びがありました。
3-2.生きる
惨禍の中を生き延びた後も、 人々は多くの困難と苦悩に直面しました。
家族や友人を失った悲しみに耐え、 心身に残る傷や病を抱えながら、生きていかなければなりませんでした。
4. ギャラリー
4-1.平和記念公園の建設
平和記念公園一帯は、中島地区と呼ばれ、江戸時代から栄えた歴史ある繁華街でした。しかし、原爆で壊滅的な被害を受け、戦後は平和記念公園として整備されました。
公園内には、市民や国内外から寄せられた約40種1,200本の樹木が茂り、原爆死没者の慰霊碑をはじめとするモニュメントが多数設けられています。毎年8月6日には、平和記念公園を会場に、平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式典)が行われています。
5. 核兵器の危険性
5-1.原子爆弾の開発と投下
アメリカは、1942年(昭和17年)6月、後に「マンハッタン計画」と呼ばれる極秘の原爆製造計画に着手しました。
原爆開発が進むにつれ、日本への使用を検討し、投下目標は都市の規模や爆風で効果的に損害を与えることができる地形などの基準から選びました。アメリカは原爆投下により戦争を終結させれば、ソ連の勢力拡大も抑えられ、膨大な経費を使った原爆開発を国内向けに正当化できるとも考えました。
アメリカは、1945年(昭和20年)7月の原爆爆発実験の後、8月6日午前8時15分、世界で初めて広島に原爆を投下しました。さらに、3日後の8月9日長崎にも原爆を投下、午前11時2分にさく裂しました。
5-2.原子爆弾の脅威
核分裂が極めて短い時間に連続して起こると、膨大なエネルギーが熱線、爆風、放射線として放出されます。この現象を用いて、兵器として開発されたものが原爆です。
広島、長崎に投下された原爆は熱線、爆風、放射線が複雑に作用して大きな被害をもたらしました。
原爆の特徴は、通常の爆弾では生じない大量の放射線が放出され、人体に深刻な障害を及ぼすことです。
5-3.核の時代から核兵器廃絶へ向けて
広島・長崎への原爆投下により世界は「核時代」に入りました。アメリカとソ連(現在のロシア)の対立による核兵器開発競争により地球上には大量の核兵器が出現しました。また、相次ぐ核実験により数多くの人々が被ばくしました。
冷戦の終結により、アメリカとロシアの核兵器が削減される一方で核兵器保有国は増加し、さらに世界は核によるテロリズムの脅威など新たな危機に直面しています。国際社会が協力し、核兵器の非人道性の観点から、全ての国の核兵器禁止条約締結に向けた交渉や核軍縮を進め、一日も早く核兵器を全面的に廃絶することが求められます。
5-4.メディアテーブル(大型情報検索装置)
「原子爆弾の開発と投下」、「原子爆弾の脅威」、「核の時代から核兵器廃絶へ向けて」、「原子爆弾とは何か」の4つの項目について、検索できます。
6. 広島の歩み
6-1.戦時下の広島と戦争
城下町として形成された広島は、明治以降、中国地方の中心都市として発展し、日清戦争(1894年~1895年)を契機に軍都としての性格を強めました。1931年の満州事変を経て1937年には日中の戦争が全面化し、1941年には米英などとの太平洋戦争に突入しました。広島も戦争一色となりました。戦局は徐々に悪化してアメリカによる本土空襲が激しくなり、1945年8月6日8時15分、広島に原子爆弾が投下されました。
6-2.広島の復興 さまざまな支援
原爆で破壊された広島での生活は悲惨でしたが、市民は自らの生活を再建させつつ街の復興に立ちあがりました。国内外の人々も支援の手を差し伸べました。広島市の復興の道のりは困難でしたが、1949年制定の広島平和記念都市建設法に後押しされて都市基盤は徐々に整備され、現在は人口100万人を超える都市にまで発展しました。
街が復興する一方で、原爆による心身の障害に苦しみながら生活する人たちが多くいました。1957年、原爆医療法が制定され、国による被爆者援護施策が始まり、順次拡充されてきました。
6-3.平和な世界をつくる
1947年8月6日、広島市は初めて平和宣言を発表し、以後、原爆被害の実相と世界恒久平和を訴え続けています。核兵器廃絶を願う市民の運動は、1954年のビキニ事件を契機に大きく広がり、高まりました。現在では、核実験や原発事故で被曝した人々への医療支援など、多面的な活動もなされています。
人類と核兵器は共存できません。自分たちと同じ苦しみや悲しみを経験させてはならないという被爆者の思いを受け止め、引き継いでいく意思と営みが、いっそう求められています。
広島平和記念資料館の概要
休館日 | ・12月30日、12月31日 ※ただし、情報資料室は12月29日から1月1日まで閉室 ・展示入替期間 2月(中旬から3日間) |
開館時間 | 3月~7月 8:30~18:00 8月 8:30~19:00(8月5日、6日は20:00まで) 9月~11月 8:30~18:00 12月~2月 8:30~17:00 ※閉館時刻の30分前までにご入館ください。 |
入館料 | 大人(大学生以上)200円(30人以上の場合、1人当たり160円) 高校生100円(20人以上の場合、無料) 中学生以下無料 |
住所 | 広島県広島市中区中島町1-2 |
広島平和記念資料館のwebサイト | https://hpmmuseum.jp |
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