【戦争遺跡】山の中の海軍の町にしき ひみつ基地ミュージアム(人吉海軍航空基地資料館)【熊本県球磨郡にある戦争博物館】

目次

この記事で分かること

  • 山の中の海軍の町にしき ひみつ基地ミュージアム(人吉海軍航空基地資料館)とは?
  • 人吉海軍航空基地とは?
  • 山の中の海軍の町にしき ひみつ基地ミュージアム(人吉海軍航空基地資料館)へのアクセス
  • 山の中の海軍の町にしき ひみつ基地ミュージアム(人吉海軍航空基地資料館)の展示品
  • 山の中の海軍の町にしき ひみつ基地ミュージアム(人吉海軍航空基地資料館)の概要

山の中の海軍の町にしき ひみつ基地ミュージアム(人吉海軍航空基地資料館)とは?

ひみつ基地ミュージアム(外観)

太平洋戦争中の1943年(昭和18年)11月に建設が開始された「人吉海軍航空基地」。ここには、終戦を迎える1945年(昭和20年)8月まで、飛行予科練習生の教育や特攻隊の訓練、海軍工廠など、様々な役目を持った部隊が、村一つ分の広大なエリアの中で活動していました。

しかし、終戦を迎えると、この事実を知る者も少なくなり、徐々に人々の記憶から姿を消していったのです。

そして、戦後70年が経った2013年(平成25年)、地元有志の方々の調査・研究により、当時の姿を鮮明に留める地下施設を始めとする、様々な遺構が数多く発見されました。

にしき ひみつ基地ミュージアムは、それら遺構を展示物と捉え、それらが点在するエリアをフィールドミュージアムとして案内する施設です。入館料に含まれている「地下魚雷調整場ガイドツアー」は、専門ガイドが案内する人気のツアーです。

人吉海軍航空基地とは?

人吉海軍航空基地資料館

人吉海軍航空基地は、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)11月に、海軍施設部により建設が開始されました。全長1,500m 幅50mのコンクリート製滑走路を有する飛行場と、本部庁舎や実習棟、兵舎が建ち並ぶ庁舎居住地区からなる、本格的な航空基地でした。

1944年(昭和19年)2月、人吉海軍航空隊が発足します。当初整備兵を養成していましたが、5月からは海軍飛行予科練習生が入隊します。飛行機乗りを夢見た予科練生は、海も湖もない人吉球磨で飛行機整備術を学びました。その数は6,000名を超えます。
その後、2度にわたる空襲と戦況の悪化により、教育施設から特攻訓練基地、そして本土防衛基地へとその役割を変えていきます。上空には、「赤とんぼ」の愛称で知られる九三式中間練習機が特攻訓練に明け暮れ、地上では本土決戦に備えた膨大な数の地下施設の建設が進められました。
人吉海軍航空基地の活動期間は、わずか1年9カ月と短いものでした。

山の中の海軍の町にしき ひみつ基地ミュージアム(人吉海軍航空基地資料館)へのアクセス

ひみつ基地ミュージアム(外観)

車でのアクセス(駐車場無料)

下り「人吉IC」より車で15分
上り「人吉球磨SIC」より車で約15分

高速バスでのアクセス

【福岡↔︎宮崎】フェニックス号 人吉IC下車。
そこからタクシーで約15分

電車でのアクセス

JR鹿児島本線 八代駅乗換、肥薩線(約70分)
人吉駅下車タクシーで約20分

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