この記事で分かること
- 岐阜市平和資料室とは?
- 岐阜市平和資料室へのアクセス
- 岐阜市平和資料室の展示品
- 岐阜県下の空襲について
- 風船爆弾とは?
- 岐阜市平和資料室の概要
岐阜市平和資料室とは?
生々しい戦争の爪跡が残された展示品をできるだけ多くの方に見てもらい、過去の記憶を風化させることなく平和への願いを新たにするきっかけになればと設置されました。
「岐阜空襲」当時を色濃く残す品物の数々を集め、展示されています。
岐阜市平和資料室へのアクセス
電車でのアクセス
- JR東海道本線・高山本線岐阜駅下車、徒歩約2分
- 名鉄名古屋本線・各務原線名鉄岐阜駅下車、徒歩約5分
岐阜駅からASTY2階にあるサイゼリヤ、エクセルシオールカフェの間を通り、ハートフルスクエアという建物内にある。
岐阜市平和資料室の展示品
焼夷弾(実物・模型)
焼夷弾は、六角形の筒の中に、ゼリー状の油が入っているものです。この筒が38本(19発×1段)束になったのが、『E46集束焼夷弾』(親弾)です。投下されると上空で留め金がほどけ、M69子弾がバラバラと地上に落ちていくようになっています。
着地すると信管が作動し、爆薬が炸裂する。周囲に油をまき散らして発火し、火災を起こしました。
岐阜市には、E46の親弾約2000発、つまり約9万発のM69焼夷弾が小さな街に降り注いだ。
岐阜空襲資料
その他展示品
- 岐阜空襲戦災遺品(西陸橋解体時の出土品、丸物岐阜店壁面など)
- 戦時中の代用品(陶貨、ガラス製水筒など)
- 戦時中の生活に関する資料
- 戦時中のおもちゃ
- 平和の折り鶴 ※毎年6月から7月に岐阜市民に募集する折り鶴。一部は広島平和記念公園に送られる。
岐阜県下の空襲について
記録に残る岐阜県下の戦災地は、各務原市・岐阜市・大垣市のほか、可児郡可児町・羽島郡笠松町・安八郡安八町・大野郡丹生川村などです。1945年3月をヤマとする東京・名古屋などの一連の大都市攻撃、4~5月の沖縄作戦支援の九州地方爆撃に続き、中小都市攻撃が日増しに激化する同年6月から、県下への本格的な空襲がはじまりました。
各務原の場合は、大軍需都市名古屋の壊滅後、陸軍航空機生産で特に重要性を増していた川崎航空と飛行場を軍事目標として10数回にわたる空襲が繰り返されました。工場は完全に破壊され、生産がほとんどストップしたばかりではなく、工場・基地周辺も攻撃を受け、大きな被害を出しました。
岐阜・大垣の場合は、夜間の大量の焼夷弾投下により、市民の生活は破壊され、市街地は焦土とかしました。
さらにこのころから予告爆撃もはじまり、岐阜・大垣に引き続き、多治見・高山などに空襲の予告ビラが投下されました。
風船爆弾とは?
日本軍は、日本の上空に吹く季節風を利用して、約9,000キロ離れたアメリカ本土まで、気球を使って爆弾を落とすことを計画しました。
全国の生産者が総動員され、約9,000個の気球が打ち上げられ、そのうち約1,000個がアメリカ本土まで到着したと推定されています。
風船爆弾の風船部分は直径約10メートルもあり、和紙にこんにゃく糊を塗ったものが使用されました。和紙は一番繊維の長い楮(こうぞ)で薄い和紙にすきあげられました。この紙をグリセリンで処理すると、柔らかくて強い紙ができたのです。この生産は、岐阜県、高知県、愛媛県などの和紙の産地で行われました。
岐阜市平和資料室の概要
休館日 | 毎月最終火曜日(火曜日が祝日の場合はその翌日) 年末年始(12月29日〜1月3日) |
開館時間 | 午前9時~午後9時 |
入館料 | 無料 |
住所 | 岐阜市橋本町1-10-23 (ハートフルスクエアーG2階) |
岐阜市平和資料室のwebサイト | https://gakuen.gifu-net.ed.jp/~contents/tyu_shyakai/jinbutu/sensou/siryousitu.htm |
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