この記事で分かること
- 記念艦「三笠」とは?
- 記念艦「三笠」へのアクセス
- 記念艦「三笠」の展示品
- 記念艦「三笠」の概要
記念艦「三笠」とは?
三笠は、明治35年(1902)にイギリスで建造された戦艦です。
日露戦争では東郷平八郎司令長官が乗艦する連合艦隊の旗艦として大活躍しました。
現存する世界最古の鋼鉄戦艦であり、日本遺産の構成文化財に認定されています。
記念艦「三笠」へのアクセス
電車の場合
京急の場合
「横須賀中央駅」下車 徒歩15分
JRの場合
「横須賀駅」より[中央1]三笠循環バスで「三笠公園」バス停下車
その他の路線バスで「大滝町」バス停下車 徒歩7分
自動車(横浜横須賀道路利用)の場合
横須賀インターチェンジ-本町山中道路終点-国道16号線-三笠公園入り口を左折
フェリーの場合(千葉金谷港から)
久里浜港-国道134号線大津交差点を通過後左折、横須賀海岸通り
記念艦「三笠」の展示品
艦橋及び上甲板
「三笠」操舵室内部
艦橋には磁気羅針儀、操舵輪、速力指示器などが装備されており、通常はここで艦の運航を指揮します。
最上艦橋
日本海海戦において東郷平八郎連合艦隊司令長官が戦闘の指揮をとった場所です。
東郷司令長官、加藤参謀長、伊地知艦長、秋山作戦参謀の立っていたプレートが示されており、最上艦橋に立つと、バルチック艦隊を迎撃した情景が眼に浮かびます。
司令塔
装甲艦橋は35cmの厚い鋼板で囲まれ、中には磁気羅針儀、操舵輪、速力指示器が装備されており、司令長官、艦長等が敵弾から身を守りつつ戦闘を指揮し、艦を操縦するところです。
艦首飾り
「三笠」は皇居に正対しており、艦首には艦首飾り(菊花紋章)が付けられ燦然と輝いています。
8cm砲(右舷)
上甲板中部の両舷にはそれぞれ4門の8cm砲が展示されております。これらの砲身は観覧者が自由に向きを変えられるようになっています。
前甲板
前甲板には30cm主砲2門、主錨などが装備されています。
「三笠」30センチ前部主砲
最大射程約1万mの、口径30cm主砲が2門装備されています。
第1ビデオ室
主として個人で来艦される方々に、「三笠」の紹介DVDをご覧いただいています。荷物の保管ロッカーを置いており、ご休憩場所としても利用いただけます。
第2ビデオ室
主として団体で来艦される方々に、「三笠」の紹介DVDをご覧いただいています。
無線電信室
対馬西方海域を哨戒していた仮装巡洋艦「信濃丸」は、5月27日早朝バルチック艦隊を発見し、「敵艦隊見ュ・・・」の第一報を発信しましたが、その電報は巡洋艦厳島を経てこの電信室の36式無線機で受信し、直ちに東郷聯合艦隊司令長官に報告されました。日本海海戦で初めて無線通信機が作戦戦闘場面で使われ、大きな効果を上げました。
「三笠」30センチ後部主砲
口径30cm主砲が後部にも2門装備されており、主砲から発射される砲弾が傍に展示されています。
「三笠」主錨
「三笠」の建造時は、艦首を相手に衝突させて損害を与える戦術思想が残っていたため、主錨は艦首ではなく、前甲板の側方に装備されています。
補助砲
上甲板中部の両舷にはそれぞれ4門の8cm砲が展示されております。これらの砲身は観覧者が自由に向きを変えられるようになっています。
15cm副砲の操法展示
射撃指揮官、砲員3名の人型を配置し、射撃号令音声により目標を照準して発射するまでの流れを説明し、また、砲員1名の人型により弾薬の揚弾要領を展示しています。
中甲板
子供たちの展示室(日本海海戦操艦シミュレーター)
日露戦争当時の世界情勢、戦艦「三笠」の建造、日本海海戦での活躍、記念艦として保存・復元等について小・中学生の皆さんが理解しやすいように説明しています。
また日本海海戦操艦シミュレーターでは戦艦「三笠」の操舵手となり東郷聯合艦隊司令長官の指示を受けながら「三笠」を自由に操艦してバルチック艦隊と戦うことができます。
「三笠」の航跡
戦艦「三笠」が明治35年(1902)3月、英国のヴィッカース造船所で建造・竣工してから、連合艦隊旗艦として日本海海戦における奮闘、佐世保港内での爆沈事故、第一線への復帰・シベリアでの邦人救出、記念艦として保存、戦後の荒廃、往時の姿に復元など、「三笠」の生涯について解説しています。
「三笠」の主機関の説明
ヘルヴィル式ボイラ25基で発生した蒸気が、直立三気筒三連成レシプロ(往復動)蒸気機関2基(3D写真を展示)に送られ、その回転運動が推進軸に伝えられ、左右のプロペラを回転させる仕組みが解説されています。
なお、「三笠」が記念艦として保存される際、ボイラ、主機械等は全て撤去され、安定を保つために艦底には砂礫が充填されました。
講堂
兵員居住区、前部主砲下部(揚弾筒)や病室であった区画を講堂に改造したもので、320席を設けています。映画の上映、式典等の際に使用しています。
中央ホール
戦艦「三笠」の模型とともに、世界の三大記念艦と呼ばれている英国の戦艦「ヴィクトリー」、米国の戦艦「コンスティチューション」の模型とともに、世界の三大提督の肖像画(東郷平八郎、ホレーショ・ネルソン、ジョン・ポール・ジョーンズ)などが展示されています。
士官室
大尉から中佐までの士官(士官室士官)が、担当する砲術、航海、機関などの職務や分隊人事等の事務を行い、会議や食事の場所としても使っていました。士官室士官にはそれぞれの寝室がありましたが、中尉以下の士官及び候補生は次室士官と呼ばれ、下甲板のガンルームを使い釣床(ハンモック)で寝ていました。
艦長室
艦長が執務を行い、来客を接遇する部屋です。艦を指揮する艦長には、このほか艦長寝室、艦長浴室があります。
長官公室
東郷連合艦隊司令長官が隷下の艦隊司令長官、艦長などを召集して会議を行なう際に、また、東郷司令長官が来客を接遇する時に使われました。
連合艦隊の作戦会議、バルチック艦隊の降伏文書調印なども、この長官公室で行なわれました。
東郷平八郎元帥の遺髪が安置されています。
長官私室
東郷司令長官が執務された部屋です。室内の後方には明治天皇のご真影と昭和天皇皇后両陛下が「三笠」を御訪問された時の写真が掲げられています。
8番砲室 日本の海軍
徳川幕府が手がけた海軍力の整備を引き継いだ明治政府は、イギリスなどから海軍制度、戦略・戦術、教育訓練、造船・修理などについて学び、海軍整備計画を着実に進め、戦艦6隻、装甲巡洋艦6隻を基幹とする六六艦隊を作り上げました。幕末から日露戦争に至るまでの海軍力の強化について解説しています。
世界情勢
産業革命により工業生産力を著しく向上させた欧米列強は、原材料を確保し市場の拡大を図るため、強大な軍事力を背景として競って植民地獲得に乗り出しました。19世紀から20世紀初頭にかけて欧米列強が世界の8割以上を支配した状況、三角貿易、帝政ロシアの南方への領土拡張などについて解説しています。
6番砲室 日露戦争
日露戦争開戦の経緯、日露陸海軍兵力の比較、開戦直後の仁川沖海戦、三度の旅順口閉塞作戦及び激烈を極めた旅順攻防戦(ジオラマ)などを展示しています。
10番砲室 近代日本の建設
開国、幕末の混乱、明治維新に至る激動を経て、近代国家を建設するための懸命な努力、日清戦争、三国干渉、我が国に対する帝政ロシアの露骨な軍事圧力、日英同盟等について解説しています。
2番砲室 日本海海戦
昭和初期に人気を博した少年雑誌「少年倶楽部」に掲載された日本海海戦のイラストを展示しております。
中央展示室(拡大)
連合艦隊解散之辞
戦時の連合艦隊を解散して平時の編成に戻るに際し、東郷司令長官が行なった訓辞であり、秋山真之が起案したと伝えられています。
海軍軍人が心すべき事柄が簡潔明快に述べられており、「勝って兜の緒を締めよ」の名句は広く使われるようになりました。
ルーズベルト大統領は、アメリカ海軍軍人も銘記すべきであるとし、「連合艦隊解散の辞」を全部隊に伝達しました。
ポーツマス講話、秋山真之参謀などの遺筆
米国のポーツマスにおいて、ルーズベルト大統領の仲介で日露講和条約が調印された様子を描いた油絵、秋山真之作戦参謀や旅順閉塞作戦で戦死し軍神となった廣瀬中佐の遺筆などが展示されています。
三笠艦橋の図
東城鉦太郎画伯が、日本海海戦の火蓋が切られる直前の、連合艦隊旗艦「三笠」最上艦橋の様子を描いた名画です。東郷司令長官、加藤参謀長、伊地知艦長、秋山作戦参謀などの人物が、克明に描かれています。
東郷司令長官と日露の将軍
連合艦隊司令長官東郷平八郎大将をはじめ、日露戦争時に活躍した伏見宮博恭王殿下、山本権兵衛、大山巖、児玉源太郎、乃木希典、小村寿太郎、金子堅太郎、ロジェストウインスキー中将などを紹介しています。
艦内説明・艦内旅行
明治37(1904)年、黄海海戦当時の戦艦「三笠」をコンピュータ・グラフィックで復元しました。
タッチパネルにより戦艦「三笠」の様々な装備や各区画等を深く知ることができます。
また艦内を移動しながら主要区画の様子を知ることができる艦内旅行をすることもできます。
VR日本海海戦
VRにより日本海海戦から講和条約締結までの一連の流れが理解できるストーリーとなっています。
特に日本海海戦は戦艦「三笠」の最上艦橋に立って東郷聯合艦隊司令長官や秋山作戦参謀と同じ目線でそのクライマックスを体感いただけます。
日本海海戦のパノラマ模型
このパノラマ模型は、連合艦隊とバルチック艦隊の動きや東郷ターンなどの日本海海戦の様相を判り易く再現しています。
黄海海戦
明治37年8月10日、連合艦隊は、旅順口を脱け出てウラジオストックに向かう露旅順艦隊を発見し、黄海において激しい砲撃戦が展開されました。
旅順艦隊は大きな被害を受け、旗艦「ツエザレウィチ」は被弾し操舵不能になり、戦艦5隻は旅順港に引き返して立てこもりました。
蔚山沖海戦
露ウラジオ艦隊は、日本海沿岸や東京湾沖海域などで、日本及び中立国の商船・漁船を攻撃し大きな被害を与え、大きな脅威になっていましたが、8月14日、上村司令長官率いる第2艦隊は、蔚山沖において旅順艦隊の支援に向かうウラジオ艦隊を発見して猛攻撃を加え、撃沈しました。
なお、撃沈後、海面に漂うロシア将兵を救助、収容し、被服、食事を与えた行為は、武士道の発露として世界中で賞賛されました。
バルチック艦隊の東航
ロジェストウインスキー中将率いる第2太平洋艦隊は、明治37(1904)年10月15日バルト海のリバウ海軍基地を出港し主隊は喜望峰回りで、支隊はスエズ運河を通り同年12月、マダガスカル島にそれぞれ到着しました。
約2ヵ月半同島に停泊後、急遽編成された第3太平洋艦隊が明治38(1905)年2月リバウ港を出港した後、第2太平洋艦隊はマダガスカル島を離れ、ベトナムのカムラン湾で両隊は合流しウラジオに向け針路を取りました。
太平洋第2、第3艦隊を総称し、バルチック艦隊と言います。
このバルチック艦隊の航海期間中の主要な出来事についてタッチパネルを使用して深く知ることができます。
日本海海戦
露ウラジオ艦隊及び旅順艦隊を撃滅した連合艦隊は、修理・整備・補給を終え、朝鮮半島南岸の鎮海において猛訓練を重ねつつバルチック艦隊を待ち受けました。
明治38年5月27日早朝、対馬西方海域で哨戒中の「信濃丸」から「敵艦隊見ユ・・・」の第一報を受信した連合艦隊は直ちに出動し、対馬沖においてバルチック艦隊を迎撃し、2日間にわたる激戦の末、海戦史上未曾有の勝利を収めました。
記念艦「三笠」の概要
休館日 | 12月28日から31日 |
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開館時間 | 4月〜9月 9:00〜17:30 3月・10月 9:00〜17:00 11月〜2月 9:00〜16:30 ※入艦はいずれも閉艦30分前まで |
入館料 | 一般:600円 65歳以上:500円 高校生:300円 小・中学生:無料 |
住所 | 神奈川県横須賀市稲岡町82-19 |
webサイト | https://www.kinenkan-mikasa.or.jp/index.html |
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